ポルトガル船が初めて平戸に入港したのは1550 年です。1553年以後は毎年1隻から2隻のポルトガル船が来航すると、平戸は賑わいを見せました。しかし領主・松浦隆信はポルトガル船の入港は歓迎しま したが、かならずしもキリスト教に好意を抱いていたわけではなく、布教活動が盛んになると複雑な関係が生じるようになりました。
1561年にはポルトガル船長以下14名の死者をだす事件(宮ノ前事件)が発生しました。その結果ポルトガル船は長崎に移るに至ります。こうして対ポルトガル貿易は15年間で絶えることになりました。
1609年オランダ東インド会社は、2隻の船をオランダから日本に出航させました。2隻は無事平戸に入港し、駿府の徳川家康との面談を果たした上で平戸にオランダ商館を開設しました。1641年に出島に移転しますが、この間はオランダにとり日本との外交を続けるための重要な期間となったのです。
1613年、イギリス船クローブ号が国王の書簡を携え平戸に入港しました。ウイリアム・アダムズ(三浦按針)がイギリス人一行と家康に面会し、通商の許可を得ました。こうして、オランダ商館とともにイギリス商館が平戸に存在することになったのです。イギリス商館はオランダ商館との競争などで対日貿易が伸びず、1623年に平戸イギリス商館は閉鎖されました。