松浦家年表:
代数 |
当主 |
西暦 |
和暦 |
松浦家関係記事 |
国内 |
海外 |
1 | 融 | 嵯峨天皇第18子 融、姓 源氏・家紋三星を賜い臣下に下る。 | ||||
2 | 昇 | 894:遣唐使廃止 | ||||
3 | 仕 | 935:新羅滅亡 | ||||
936:高麗、朝鮮半島統一 | ||||||
4 | 充 | |||||
5 | 綱 | |||||
6 | 授 | 1019 | 刀伊(女真族)の入寇。 前肥前介 源 知 これと戦う。 |
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7 | 泰 | |||||
8 | 久 | 1069 | 延久1 | この年、久、下松浦志佐郷今福に下向したとされる。 | ||
久、松浦をもって姓とするという。 | ||||||
9 | 直 | 1151 | 仁平1 | 源 直、預所下文を賜う | ||
1183 | 寿永2 | 「平戸」の地名初見される。 | 1181:平清盛 没 | |||
1185 | 文治1 | 松浦党、壇ノ浦の合戦に水軍を率い平家方として参戦。 | 1185:壇ノ浦にて平家滅亡 | |||
1191 | 建久2 | 栄西、宋より帰国の途中、平戸島 葦ヶ浦に寄泊。 | 1187:栄西 2度目の入宋 | |||
10 | 披 | 1192 | 建久3 | 源 披、平戸島 紐差の地頭職を安堵される。 | 1192:源頼朝 征夷大将軍となる | |
11 | 持 | 1229 | 安貞3 | 源 持、上五島 小値賀の地頭職を安堵される。 | 1202:栄西、建仁寺を創建 | 1226:倭寇高麗を襲う |
12 | 繋 | |||||
1235 | 嘉禎1 | 栄尊・聖一国師ら、入宋の途中平戸に滞在。 | ||||
13 | 湛 | 1271 | 文永8 | 源 湛、平戸島内の平戸・河内、小値賀等の地頭職を安堵される。 | 1260:蒙古、フビライ即位 | |
14 | 答 | 1271:蒙古、元と称す | ||||
1274 | 文永11 | 蒙古襲来(文永の役)で元軍、対馬・壱岐を襲い平戸島近海にいたる。 | ||||
1281 | 弘安4 | 蒙古襲来(弘安の役)で元軍平戸島近海に集結。再び日本を襲う。 | 1279:元、南宋を滅ぼす | |||
1287 | 弘安10 | 松浦一族、一揆して鎌倉に恩賞を要求。 | 1333:鎌倉幕府滅亡 | |||
15 | 定 | 1336 | 延元1 | 1336:室町幕府開府、天皇吉野へ移る | ||
建武3 | 源 定、南朝方につく。 | |||||
16 | 勝 | 1338:足利尊氏征夷大将軍となる | ||||
1339 | 延元4 | 1339:後醍醐天皇没 | ||||
暦応2 | 松浦一族、恩賞不足により一族一揆。 | |||||
1343 | 興国1 | 1350:倭寇この年より激増 | ||||
康永2 | 源 定、武家方につき本領安堵される。 | |||||
1384 | 元中1 | 1368:元滅び、明興る | ||||
至徳1 | 松浦一族、一揆契諾を結ぶ。(平戸・源 湛 ) | |||||
1388 | 元中5 | |||||
嘉慶2 | 松浦一族、一揆契諾を結ぶ。(平戸・肥前守 湛、石見守 武、若狹守 廣) | |||||
1392 | 元中9 | 1392:南北朝合体 | 1392:高麗滅び李氏朝鮮興る | |||
明徳3 | 松浦一族、一揆契諾を結ぶ。(平戸・若狹守 廣) | |||||
17 | 理 | |||||
18 | 直 | |||||
19 | 勝 | |||||
20 | 芳 | 勝、芳、近隣の松浦一族に攻められ戦死という。 | ||||
21 | 義 | 1436 | 永享8 | 平戸近隣の松浦一族、一揆契諾を結ぶ。(平戸 肥前守 義) | 1441:将軍足利義教暗殺 | |
1456 | 康正2 | 義、朝鮮に歳遣船を派遣。 | ||||
1458 | 長禄2 | 義上洛し、将軍義教の菩提寺普光院に参詣。銭300貫を寄進。細川氏を通し | ||||
遣明船の類船を望み許される。 | 1467:応仁の乱起こる | |||||
22 | 豊久 | 1471 | 文明3 | 豊久、朝鮮に歳遣船を派遣。 | ||
23 | 弘定 | 1479:イスパニア王国成立 | ||||
1491 | 延徳3 | 弘定、有馬・大村氏等に攻められ大内氏をたより博多へ。 | 1498:ヴァスコ・ダ・ガマ、インドに達する | |||
1492 | 明応1 | 弘定、平戸帰還。 | 1510:ポルトガル人、ゴア占領 | |||
24 | 興信 | 1517:ルター宗教改革 | ||||
25 | 隆信 | 1541 | 天文10 | 隆信13才で領主となる。 | 1534:イエズス会設立 | |
この頃、明の海商、倭寇の頭目、王直平戸に本拠をおく。 | 1543:ポルトガル人種子島漂着鉄砲伝来 | |||||
1550 | 天文19 | ポルトガル船初めて平戸入港、フランシスコ・ザビエル鹿児島より平戸に来る。 | 1549:ザビエル鹿児島に来る | |||
1555 | 弘治1 | 隆信、イエズス会インド管区副管区長メルシオールに書簡を送る。 | ||||
1557 | 弘治3 | 王直、明において捕らえられ、後に処刑される。 | 1557:ポルトガル、マカオの居住権を獲得 | |||
1561 | 永禄4 | 平戸宮の前事件でポルトガル人船長ら14名殺害される。 | ||||
1562 | 永禄5 | ポルトガル船、平戸を避け大村領横瀬浦入港。 | 1558(~1568):倭寇、明沿岸・東南アジア沿岸を襲う | |||
1564 | 永禄7 | 平戸に天門寺(み孕みのサンタマリア教会)建設。ポルトガル船平戸に入港。 | ||||
1565 | 永禄8 | ポルトガル船、大村領の長崎福田港入港。松浦家の兵船と堺の商船、福田港のポルトガル船を襲撃。(平戸でのポルトガル貿易の終わり。) | 1569:織田信長キリスト教布教許可 | 1571:スペイン、マニラを建設 | ||
1571 | 元亀2 | 隆信、壱岐を領有する。 | 1573:室町幕府滅亡 | 1581:オランダ独立宣言 | ||
26 | 鎮信 | 1587 | 天正15 | 豊臣秀吉の九州平定に参加。秀吉より領知安堵の朱印状を発給される。 | 1582:本能寺の変 | 1588:イギリス、イスパニアの無敵艦隊を破る |
キリシタン禁制発令を受け宣教師は生月で対応を協議。 | 1587:豊臣秀吉キリシタン禁制発令。 | |||||
1592 | 文禄1 | 鎮信・久信、小西行長の第一軍に属し朝鮮半島に渡る。 | 1592:文禄の役(壬辰倭乱)始まる | |||
1593 | 文禄2 | スペインのフィリピン長官使節、平戸に来る。肥前名護屋城の秀吉に取り次ぐ。 | 1596:サンフェリぺ号事件 | |||
1597:長崎で26聖人殉教 | ||||||
1597:慶長の役(丁酉再乱)始まる | ||||||
1598 | 慶長3 | 鎮信・久信、朝鮮半島よりもどる。 | 1598:豊臣秀吉没 | |||
27 | 久信 | 1599 | 慶長4 | 隆信(道可) 没。松浦家の有力キリシタン家臣、籠手田氏一族長崎逃亡。 | ||
1600 | 慶長5 | 関ヶ原の戦い。 | 1600:オランダ船、リーフデ号豊後に漂着 | 1600:イギリス、東インド会社設立 | ||
28 | 隆信 | 1603 | 慶長8 | 隆信(宗陽)13才で元服。祖父鎮信に伴われ駿府の家康に謁する。 | 1603:江戸幕府開府 | 1602:連合オランダ東インド会社(VOC)設立 |
1604 | 慶長9 | 鎮信(法印)南洋渡航の朱印状を受ける。 | ||||
1605 | 慶長10 | リーフデ号の乗組員を、鎮信(法印)の仕立てた朱印船で送還する。 | ||||
1609 | 慶長14 | オランダ船2隻平戸入港。ウィリアム・アダムズ平戸に来る。 | 1609:己酉条約結ばれる | |||
平戸オランダ商館開設。 | (朝鮮との国交回復) | |||||
1613 | 慶長18 | イギリス船平戸入港。平戸イギリス商館開設。 | ||||
鎮信(法印)、居城である日の岳城を自ら焼き払う。 | ||||||
鎮信(法印)イギリス国王に書簡を送る。 | ||||||
1616 | 元和2 | オランダ・イギリス貿易、長崎と平戸に限定される。 | 1614:大坂冬の陣 | |||
1619 | 元和5 | 平戸のオランダ・イギリス同盟成立。 | 1615:大坂夏の陣 | |||
1620 | 元和6 | ウィリアム・アダムズ平戸で没す。 | ||||
1623 | 元和9 | 平戸イギリス商館閉鎖。 | 1622:元和大殉教 | |||
1624 | 寛永1 | 鄭成功平戸に生まれる。 | 1624:イスパニア船の来航禁止 | 1624:オランダ台湾占領 | ||
1634:長崎に出島築造 | ||||||
1635:唐船貿易を長崎一港に限定 | ||||||
1636:出島完成、ポルトガル人収容 | ||||||
29 | 鎮信 | 1637 | 寛永14 | 鎮信(天祥)藩主となる。 | 1637:島原の乱 | |
1640 | 寛永17 | 平戸オランダ商館の破壊を命じられる。 | 1639:ポルトガル人 日本追放 | |||
1641 | 寛永18 | 平戸オランダ商館閉鎖。長崎出島に移転。 | 1644:明滅亡 | |||
1646:鄭成功 清に対して挙兵 | ||||||
1648 | 慶安1 | 鄭成功 幕府に明朝回復の援助を求める。 | ||||
1655 | 明暦1 | 山鹿素行の弟、平馬、松浦家家臣となる。 | 1665:山鹿素行赤穂幽閉 | 1662:鄭成功 台湾のオランダ軍排除 同年没 | ||
1689:長崎に唐人屋敷築造 | ||||||
30 | 棟 | 1691 | 元禄4 | 棟 幕府の寺社奉行となる。 | 1702:赤穂浪士吉良邸討ち入り | |
1704 | 宝永1 | 平戸城を、日の岳城跡に再築。享保3年完成。 | 1707:イギリス、大ブリテン王国成立 | |||
31 | 篤信 | 1713 | 正徳3 | 篤信 藩主となる。 | 1715:近松門左衛門『国姓爺合戦』著す | |
32 | 有信 | 1727 | 享保12 | 有信 藩主となる。 | ||
33 | 誠信 | 1728 | 享保13 | 誠信 藩主となる。 | ||
1745 | 延享2 | 山鹿素行の孫、高道 松浦家家臣となる。 | ||||
34 | 清 | 1775 | 安永4 | 清(静山)藩主となる。 | 1772:田沼意次 老中となる | 1776:アメリカ独立宣言 |
1779 | 安永8 | 藩校 維新館創設。樂歳堂文庫創設。 | 1774:「解体新書」刊行 | |||
1782 | 天明2 | 平戸オランダ商館時代のオランダ船錨海中より発見、引き揚げられる。 | ||||
1788 | 天明8 | 司馬江漢、平戸を訪れる。 | 1787:松平定信 老中となる | |||
1789:フランス革命 | ||||||
1800 | 寛政12 | 佐藤一斎 平戸を訪れ維新館で講義。 | 1799:連合オランダ東インド会社解散 | |||
1802 | 享和2 | 坂本天山を招き、砲術を藩士に伝授。 | 1803:アメリカ船 イギリス船長崎来航 | |||
35 | 熈 | 1806 | 文化3 | 熈 藩主となる | ||
1813 | 文化10 | 伊能忠敬第八次測量で平戸を訪れる。 | 1808:イギリス軍艦フェートン号長崎侵入 | |||
1821 | 文政4 | 清(静山)『甲子夜話』の稿をおこす。 | ||||
1835 | 天保6 | 中山忠能に嫁いだ静山第11女 愛子、明治天皇生母 慶子を生む。 | 1840:アヘン戦争 | |||
36 | 曜 | 1841 | 天保12 | 清(静山)没。 | 1837:大塩平八郎の乱が起きる | 1841:イギリス香港占領 |
1849 | 嘉永2 | 壱岐沖に異国船現れる。 | 1844:オランダ王、開国を勧告 | |||
1850 | 嘉永3 | 吉田松蔭 平戸遊学。 | 1853:ペリー浦賀来航 | |||
1852 | 嘉永5 | 慶子 明治天皇を生む。 | ||||
1854 | 安政1 | 外国艦船各所に出没。 | ||||
37 | 詮 | 1858 | 安政5 | 詮 藩主となる。 | 1858:安政の大獄はじまる | |
1859 | 安政6 | 勝海舟、オランダ医師ポンペ一行平戸を訪れる。 | 1859:長崎・函館・神奈川開港 | |||
1860 | 万延1 | イギリス船平戸近海測量、外国艦船平戸瀬戸通過。平戸瀬戸に砲台設置。 | 1860:桜田門外の変 | |||
1868 | 明治1 | 戊辰戦争・鳥羽伏見の戦いに在京藩士参戦。秋田角館近辺の戦いに藩士参戦。 | 1864:四国艦隊下関砲撃事件 | 1861:アメリカ南北戦争(~65) | ||
1871 | 明治4 | 平戸藩を廃し長崎県に併合。 | 1867:大政奉還 | |||
1880 | 明治13 | 猶興書院を創設。 | 1871:廃藩置県 | |||
1893 | 明治26 | 鶴ヶ峯邸竣工。(現在の松浦史料博物館建物) | 1873:キリスト教解禁 | 1897:朝鮮、韓国と改称(~1910) | ||
38 | 厚 | 1925 | 大正14 | 日蘭協会(会長 松浦厚)通交300年を記念し平戸に記念碑建設。 | 1914:第一次世界大戦(~18) | |
1927 | 昭和2 | 平戸イギリス商館記念碑建設。 | 1939:第二次世界大戦開始 | |||
39 | 陞 | 1955 | 昭和30 | 財団法人松浦史料博物館設立のため土地、建物、資料寄贈。 | 1949:中華人民共和国成立 | |
財団法人松浦史料博物館創設。平戸市制施行。 | 1950:朝鮮戦争勃発 | |||||
40 | 素 | 1969 | 昭和44 | 昭和天皇・皇后平戸行幸。 | ||
1977 | 昭和52 | 平戸瀬戸に平戸大橋開通。 | 1981:ローマ法王ヨハネ・パウロ2世長崎訪問。 | |||
41 | 章 | 1990 | 平成2 | オランダ皇太子平戸訪問。 | 1998:香港中国返還 | |
1999 | 平成11 | フランシスコ・ザビエルの聖腕平戸に巡回され記念ミサ開催。 | 1999:ポルトガル領マカオ中国返還 | |||
2000 | 平成12 | 日蘭修好400周年記念行事を長崎県全体で開催。 | ||||
2002 | 平成14 | 第22回 全国豊かな海づくり大会(佐世保市) 天皇・皇后平戸行幸。松浦史料博物館御視察。 |