鄭成功は中国人海商で平戸を根拠地として活動した鄭芝龍(ていしりゅう)を父に、平戸川内の田川マツを母に1624年平戸で生まれました。母マツが千里ヶ浜で貝拾いの時、にわかに産気づき千里ヶ浜の大石(千里ヶ浜の児誕石)にもたれて鄭成功は生まれたと伝えられています。

父・芝龍は平戸老一官と称し、数千名の配下をもつ海商船団の頭領でしたが、後に明朝の招きに応じて帰順し明朝に仕えることになりました。その後鄭成功も7歳の時、芝龍の招きにより単身渡海すると、15歳で南京大学に入り学び、21歳の時には明王・隆武から明の皇帝の姓である「朱」を称することを許され、朱成功の名を賜ることになります。

明の国姓である朱姓を与えられたことから、人々は彼を国姓爺(こくせんや)と敬称したといわれています。明王朝を再興する足がかりとして、鄭成功は台湾を 拠点化することとし、台湾を占拠中のオランダと戦い勝利をおさめました。その後、台湾に政府を設置し法律を定め開拓を行い、民を養い大いに時運の挽回を図 ります。しかし、1662年ついに熱病のために39歳という若さで亡くなりました。その後、鄭氏三代に亘る政権も1683年清朝に降伏、幕を閉じることに なったのです。